しかし、総合的に考察し、直ちに公的な設置と言う段階には至らないことは承知していたので、とりあえず、個人の土地で看板設置ができそうな場所を探していました。
そんな状況のなかで、あちこちに「看板の説明文や設置場所」などの話題を持ち掛け、設置に向けた取り組みを続けていました。
その結果、看板につきましては、設置できそうな場所(2か所)や説明文(子ども向け・英語版)も見当が付きましたので、ここにご報告いたします。
設置場所の具体化につきましては、平成27年から取り組みに入ります。
説明文については、「子ども達を対象にしているなら、ふり仮名が必要です。」という諏訪間氏の助言を頂きましたので取り入れました。
また、大山周辺を横浜、鎌倉、箱根に次ぐ、県内第4の国際観光土地化することを神奈川県の地域再生の取り組みとして「平成大山プロジェクト推進協議会」が結成され、動き出していること。さらに、6年後の東京オリンピックでは「伊勢原射撃場」が会場になりそうなこと、等を踏まえ、英語版の説明文添付にもこだわりました。単なる文化財の説明を超えて、少しでも未来に繋げたいと言う「I・おもてなし隊」隊員の「思いの表れ」と受け取っていただければ幸甚です。
と言う事で、英語版は、WFWP(世界平和女性連合神奈川支部いせはら)の櫻井志保氏(いつも活用している「サポートセンタースタッフ」でもあります。)のお手伝いを頂きました。
なお、英文につきましては、歴史事象と言う事情がありますので、今後、3期生の石井氏のご援助も頂き、完成させるつもりです。
と言う事で、以下、説明文を提示しますので、ご忌憚のないご意見をお願いいたします。
なお、「案内看板」は岡崎6991-29 斉藤宅に設置する予定です。「野陣台説明看板」は宮崎清氏のご援助により、看板説明にある通りの場所に設置したいと思っています。
岡崎城ウォーク時初見した「岡崎城想定図」の掲示にも拘っています。是非、説明文と一緒に掲示したい。
①斉藤宅設置の案内板(文字の位置関係は不問。
内容だけ見て下さい。)
②「野陣台」説明文
野陣台(のじんだい)
右手に広がる高台は相模岡崎城の野陣台と呼ばれ、岡崎城の武士たちの駐屯場(ちゅうとんじょう)になっていた場所です。岡崎城の武士たちはここで戦いの訓練をしたり、「エイ
エイ オー」と鬨(とき)の声をあげ、ここから戦場に向かいました。
また、この場所からは、岡崎義実(おかざき よしざね)が居城(きょじょう)した前期岡崎城の時代(1300年頃)の本丸跡(ほんまるあと)である平塚八幡神社の森と三浦道寸(みうら どうすん)が居城した後期岡崎城の時代(1494年~1512年)の本丸跡の無量寺(むりょうじ)の両方を見渡すことができる場所です。
(Remain of Sagami-Okazaki Castle)
Hill that
spread to the right is called “Nojin-dai” the old samurai garrison field of the
Sagami-Okazaki Castle. The samurai warriors of the castle used to drill
battling here, and raise a battle cry “Aye Aye Oh” to head off to the field.
You can see two remains of the Okazaki Castle
from the hill; the grove of the Hiratsuka Hachimanguu shrine, the Honmaru (the
core region of the castle) of the Early Okazaki Castle period (ca.1300) where
Yoshizane Okazaki lived, and the Muryo-ji temple, the Honmaru of the Late
Okazaki Castle period (1494-1512) where Dohsun Miura lived.
④「説明看板」とその設置について
◆看板材は板材(横30cm・長さ150cm・厚さ5cm)
◆縦に使う。
◆説明文はA4版3枚。(地図を含む)
◆説明文は写真用紙に印刷し、ラミネート加工。
☛さらに、プラスチック板で挟み、押し花用アルミ箔板で
雨水防止し、目ねじで貼り付ける。
☛目ねじ部はアルミ箔板で雨水防止する。
◆看板は境界用コンクリート柱に括り付ける。
⑤「案内板」とその設置について
◆案内板も説明板と同様に作成。
◆設置は土に打ち込んだ丸太に取り付ける。